お寺について
当山は明和5年(1768年)の創立、開山は中曽根村富田六助(深達院円成日信)。
創立当時は、中曽根村入口の島崎川船着場前に位置し、船人足をはじめ人びとに堂を解放していました。
しかし、信濃川・島崎川・馬鹿川の洪水になやみ、大正6年(1917年)7月、現在の高地に移りました。
本尊勧請様式は、一塔両尊曼茶羅形式。また、三十番神像夢知らせの鬼子母神様(子育)開運善神が安置され、昔から方位および地神除の札所として知られています。
なお、当山には可愛がられていた歌の名手、親分猫が月夜になると一族の猫を引きつれ、お宮の広場(今も残る小豆曽根の草薙神社)で踊り明かしたという「おどり猫(歌い猫)」の話が伝わっており、猫の供養などのお問合せも頂いております。
創立当時は、中曽根村入口の島崎川船着場前に位置し、船人足をはじめ人びとに堂を解放していました。
しかし、信濃川・島崎川・馬鹿川の洪水になやみ、大正6年(1917年)7月、現在の高地に移りました。
本尊勧請様式は、一塔両尊曼茶羅形式。また、三十番神像夢知らせの鬼子母神様(子育)開運善神が安置され、昔から方位および地神除の札所として知られています。
なお、当山には可愛がられていた歌の名手、親分猫が月夜になると一族の猫を引きつれ、お宮の広場(今も残る小豆曽根の草薙神社)で踊り明かしたという「おどり猫(歌い猫)」の話が伝わっており、猫の供養などのお問合せも頂いております。